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東京地方裁判所 昭和44年(刑わ)6195号 判決

右一二名の者らのうちDを除くその余の一一名に対する兇器準備集合威力業務妨害各被告事件およびDにする兇器準備結集威力業務妨害被告事件について、当裁判所は、検察官有村秀夫出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

一  被告人Aを懲役一年四月に処する。未決勾留日数中二五〇日を右刑に算入する。

二  被告人Bを懲役一年六月に処する。未決勾留日数中二六〇日を右刑に算入する。ただし、同被告人に対し、この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

三  被告人Cを懲役一年二月に処する。ただし、同被告人に対しこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

四  被告人Dを懲役二年二月に処する。未決勾留日数中三二日を右刑に算入する。

五  被告人Eを懲役一年二月に処する。未決勾留日数中二一日を右刑に算入する。ただし、同被告人に対し、この判所確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

六  被告人Fを懲役一年四月に処する。未決勾留日数中二四〇日を右刑に算入する。

七  被告人Gを懲役一年四月に処する。未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入する。

八  被告人Hを懲役一年二月に処する。未決勾留日数中二三日を右刑に算入する。ただし、同被告人に対し、この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

九  被告人Iを懲役一年二月に処する。未決勾留日数中二一〇日を右刑に算入する。

一〇  被告人Jを懲役一年六月に処する。未決勾留日数中三四〇日を右刑に算入する。

一一  被告人Kを懲役一年に処する。未決勾留日数中二一〇日を右刑に算入する。ただし、同被告人に対し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

一二  被告人Lを懲役一年四月に処する。未決勾留日数中二一〇日を右刑に算入する。

一三  被告人らに対し、別紙訴訟費用負担表記載のとおり訴訟費用をそれぞれ負担させる。

理由

(罪となる事実)

被告人らは、いずれも、いわゆる中核派に属し、または、これに同調していたものであるが、昭和四四年一〇月二一日の国際反戦デーに際し、反戦反安保等の意思表明手段として、都内新宿方面で過激な実力闘争を展開することを企図し

第一  被告人Dは、Xほか数名の者と共謀のうえ、警備中の警察官に対し共同して危害を加える目的のもとに、昭和四四年一〇月二一日午後三時四〇分ころ、自らが、前夜以降東京都中野区上高田所在の東京外国語大学日新学寮に集まつた同じ目的を有する学生ら約一二〇名の総指揮者として、隊列を組んだ一団の右学生らを率いて同寮を発し、右学生らとともに、西武新宿線新井薬師駅から同線の西武新宿行き電車に乗車して同線下落合駅で下車し、午後四時ころ同駅近くの東京都新宿区下落合三丁目一一一〇番地株式会社宮沢製作所付近で、右学生らのほとんどの者に角材を所持させたうえ、以後同日午後四時二五分ころまでにわたる間において、さらに右学生らを指揮統率して、前記下落合駅から西武新宿線の電車に乗車し、西武新宿新駅で下車し、同駅ホームから隣接する国鉄線路上に入り付近線路上で右学生らに警察官らに対する投石用の石を拾わせた後、同区角筈一丁目五番地国鉄新宿駅構内ホーム付近まで、右学生を進出させ、もつて他人の身体財産に対し共同して害を加える目的で、兇器を準備して人を集合せしめた。

第二  被告人A、同B、同C、同E、同F、同G、同H、同I、同J、同Kおよび同Lは、約一二〇名の学生らが、第一記載のとおり、同日午後四時ころから約二五分間にわたり、前記宮沢製作所付近から西武新宿線下落合駅、西武新宿駅を経由し、同駅付近から国鉄線路上を行進して前記国鉄新宿駅構内ホーム付近に至る間において、共同して警備中の警察官らに危害を加える目的のもとに、多数の角材、石塊を所持して集合移動した際、被告人A、同B、同C、同E、同F同G、同Jおよび同Lにおいては、自らも右目的で角材を各一本所持して右集団に加わり、もつて他人の身体・財産に対し共同して害を加える目的をもつて兇器を準備して集合し、被告人H、同Iおよび同Kにおいては、右目的で、前記角材、石塊等の兇器の準備あることを知りながら右集団に加わり、もつて他人の身体財産に共同して害を加える目的をもつて兇器の準備あることを知つて集合した。

第三  被告人らは、前記約一二〇名の学生らと共謀のうえ、同日午後四時一三分ころ、同区歌舞伎町西武新宿駅付近から国鉄線路上に、ともに大挙して立ち入り、角材を押し立てて喚声をあげながら前記国鉄新宿駅構内に殺到し、同日午後四時二五分ころまで、同駅ホームおよび付近線路上に滞留して山手線、中央線の電車、列車の運行が不可能となる状態に陥れ、そのため同駅運転掛内藤初雄、同田村春巳らをしてこのまま電車等を運行させれば事故の発生を免れないものとの念を抱かせ、よつて同日午後四時一六分ころから少くとも午後五時二六分までの間に同駅を着発すべき多数(少くとも約一二〇本)の電車、列車の運行を停止させ、もつて威力を用いて日本国有鉄道の輸送業務を妨害した

ものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(本件の審理経過と国選弁護人の不出頭問題について)

一、被告人らは弁護人が不出頭のまま実質審理をしたのは憲法三七条三項に違反すると主張しているので、なぜ国選弁護人が出頭しなくなつたか、および弁護人不出頭のまま実質審理をすることが憲法三七条三項に違反するかの点について当裁判所の判断を示すことにする。

二、本件について、当初被告人全員との関係で、三名の私選弁護人即ち統一弁護団(X、Y、Z)がついており(もつとも右三名は統一公判を希望していた一〇・一一月事件の全被告人五百数十名全部についていた)また別にP弁護人が五名の被告人につき選任せられ、Q弁護人が一名の被告人につき選任せられていたところ、昭和四五年六月一〇日、一一日、一二日の三日間に右五名の弁護人は何の理由をも示すことなく、全部辞任届を提出し、それと軌を一にして同月二日に被告人らから国選弁護請求書が出されたのであつた。

ところで、本件については、統一弁護団かついていた当初から、一〇・一一月事件の被告人ら五百数十名全部の統一公判を要望する声が強かつたが、裁判所側は東大事件、四・二八沖繩デー事件等の経験に鑑み、適正規模のグループ別審理しかありえないとの基本的立場と、殊に一〇・一一月事件は、訴因からみても、いろんな場所で、多数の集団によつて、時間を異にし、対象を異にして実行され、その内容が多岐にわたるものであるから、訴訟関係人に対し、具体的グループ分けについての意見を求めることとし、昭和四五年二月二一日刑事首席書記官名義で、検察官より提出せられた案を参考として添付して、同年三月一〇日迄に具体的意見があれば提出されたい旨の書面を弁護人に送付したけれども、一部の弁護人から具体案の提出があつたものの、統一弁護団からは、期限である三月一〇日までには、被告人らとの協議ができないから、意見書は提出できない旨の回答があつたのみで、具体的意見の提出はなかつた。

そこで、裁判所では裁定合議委員会が検察官の案および一部弁護人から提出せられた具体案を参照し、起訴状記載の犯行時間、場所、職業を基準としてグループ案を作成し、裁判官会議の議を経てこれが決定された後、グループ別に配点せられたのであつた。

かくして、本件は当部に配点せられたので、あらかじめ事前打合のため弁護人に出頭を求めたが弁護人は応じなかつたので、同年五月二三日に、同年六月一二日午前一〇時および同年七月二二日午前一〇時の公判期日の指定をし、さらに事前準備を促したけれども、統一弁護団は、前記のように、指定せられた第一回公判期日の直前に辞任届を提出したので、当裁判所は、六月一一日電話で弁護人に対し「公判期日が切迫しているのに正当な理由なくなされた辞任は、右公判期日が終了するまではその効力を生じないものと解するから、辞任理由を明らかにするためにも、公判期日には是非出頭されたい」旨の通告をしたが、弁護人らは結局右第一回公判期日には出頭しなかつた。

三、同年六月一二日の第一回公判期日には、私選弁護人は出廷なかつたけれども、当裁判所は、右私選弁護人の辞任は、被告人らの同意のもと、公判期日が切迫した時期に正当な理由もなくされたものであるから、右公判期日に関する限り効力がないものと認めて公判を開き(必要的弁護事件でない)人定質問に代るべき手続を行ない、起訴状朗読までの手続を行なつた。このような異例とも見える処置をしたのは、左のような理由によるものであつた。

X、Y、Z三弁護人は四・二八沖繩デー事件の統一弁護団であつたが、やはり統一公判を要望して裁判所側と八ケ月の長期に亘り折衝を続けた挙句、統一公判が実現しない見込みとなるや辞任してしまつたことがあつたので、今また公判期日直前に格別の理由を示さずに全弁護人が辞任してしまつたのは、本件グループ別の審理を阻止するためにとつた戦術であると認めざるを得なかつたし、しかも当時他部(刑事第九部、第二〇部)においてまず期日指定して公判が開かれた一〇・一一月事件について右弁護人の一部の者のとつた不当な行動のために、折角軌道に乗りかけた一〇・一一月事件の審理全体がストップすることになつて困る状況にあつたため、敢て異例の措置をとつたのであつた。

私選弁護人といえども、一旦選任せられた以上は、公的な立場に立つものであり、格別の理由もないのに、公判期日直前に辞任し、手続の進行を阻止するようなことは許されないと解すべきである。(昭和二八年八月一四日東京高等裁判所判決、特報三九号八二頁)なぜならば、もしそういうことが許されるとすれば、弁護人は恣意的な辞任を繰り返すことにより、刑事裁判の正常な運営を阻害することになるからである。

四、しかし、右公判期日後は、弁護人がないことになるので、被告人らの請求により、同年七月四日所定の手続を経て、甲、乙、丙が国選弁護人として選任せられ、同年八月五日さらに丁、戊が国選弁護人として選任せられたのである。

そして、同年七月二二日の第二回公判期日は、三名の国選弁護人が出廷したが、実質審理に入ることなく審理方式のことなどについて質問応答をしたのみで終り、その後は、後記のとおり国選弁護人らから代表者法廷案が提出されたので、同年一〇月三一日に指定せられていた第三回公判期日は同年一一月一一日に変更せられ、さらに同月三〇日に変更せられたのであつた。

五、ところで、一〇・一一月事件の全国選弁護人らは、被告人らと打合の結果、彼らが統一公判の強い要望を持つているものの、それは到底現実問題としては実現の見込がないため、代表者法廷案を作成して同年一〇月二〇日各裁判部に提出して、それについての協議の場を設けることを要望してきた。そこで、裁判所側も裁判官有志が十数名出席して、国選弁護人代表と昭和四五年一一月中三回に亘り協議したけれども、主として弁護側総論立証先行の点で採択し難いとの意向が強く、当裁判所もまた同じ見解であつた。

(イ)  そこで、昭和四五年一一月三〇日の第三回公判期日に、五名の国選弁護人出頭のうえで「代表者法廷案及び統一公判に対する当裁判所の見解と今後の方針について」という見解を表明して、代表者法廷案を正式に拒否することを明らかにするとともに、併せて同年一一月二八日付で国選弁護人代表から出されていた九項目の申入れに対しても、その内容は、法廷警察権又は訴訟指揮権に関係するもので、協議の対象としてふさわしくないものであつたり、また一般論として論議しても役立たないことであつたり、各裁判部で担当の国選弁護人と協議すれば足ることであつたりするからという理由で拒否の回答をしたのであつた。

(ロ)  昭和四六年二月二七日の第四回公判期日においても五名の国選弁護人出頭のうえで、さらに被告人らおよび弁護人らから提出せられた第三回公判で表明された当裁判所の諸見解に対する質問応答をし、なお国選弁護人代表から同月二三日付で提出せられた合同協議案件について口頭で拒否の回答をし(後に同年三月二日付で書面で理由を詳述したものを関係被告人並に弁護人に送付した)たうえ、裁判官更迭による手続の更新、検察官の冒頭陳述、証拠請求まで手続を進めたのであつた。

(ハ)  昭和四六年三月一五日の第五回公判期日にはさらに国選弁護人出頭のうえ(但し丙弁護人を除く)前回不出頭の被告人I、同Kについて、裁判官更迭による更新手続を行なつた後検察官の冒頭陳述に入つたが、被告人らは実質審理を阻止すべく、当日予定せられていた証人調は延期されたい旨申立て、弁護人もまた同旨の申立を行なつた。しかしながら、当裁判所としては、前回迄の公判期日に、審理方式等の問題については十分問答をし、裁判所の方針を明らかにしてあるので、そのうえ審理方式等の問題を蒸し返すのは、結局審理の妨害に過ぎないとして、午後からは予定通り証人の取調を行なつた。

ところが、この日実質審理に入つたことは、あくまで実質審理拒否の方針であつたらしい被告人らにとつて、かなり衝撃的なことであつたと見えて、この前後から、被告人らと弁護人の対立が次第に表面化していつたものの如くである。

六、そして、昭和四六年三月二九日甲弁護人(同弁護人は同年三月二四日病気のため解任のやむなきに至つた)を除く乙、丁、戊、丙の各弁護人は、職務遂行の至難を理由とする辞任届を提出し、理由は追つて書面にて提出する旨の届出があり、次いで同年四月五日乙、丁、戊の三弁護人から辞任理由書が提出せられた。そこで当裁判所は、同弁護人らを呼んで辞任理由について事実の取調を行なつた。乙、丁、戊三弁護人らの辞任理由書の記載および当裁判所に陳述したところの要旨は「二月二七日当裁判所が実質審理に入つたことを契機として、被告人らは、従来はまがりなりにも、弁護人らに対して示して来た信頼しようとする態度を一変し、弁護人が裁判所の訴訟進行に対し「微温的行動」をとつたことを甚しく不満とし、さらに三月一五日の公判においても冒頭の忌避申立、それに対する簡易却下、それに対する即時抗告(原文のまま)、それに関連する異議申立、それの棄却と、相次ぐ被告人らに対する退廷命令で手続が混乱した際、在廷命令があつて、結局乙、甲、丁の三弁護人が法廷に留まつたことに対し、被告人らは、二月二七日の行動にもまして「微温的」なりとして強い批難を浴せ、その夜および同月二〇日の午後から夜にかけ、さらに同月二二日夜と三度に亘り、被告人らの弁護人らが討論した結果、弁護人らは率直に未熟微力を謝罪したに拘らず、被告人らは弁護人に対し、そのまま弁護人としてとどまつていては困るという趣旨までいつて、非信頼の意思を明確に表示し、この信頼関係を当審において回復することは到底不可能であるから、辞任をしたい。裁判所の言うごとく、被告人らから非信頼の意思を表明されてもなお法廷においてなすべき弁護活動はあるからそれをなすのが弁護人の義務であるとの点については、そういう考え方もありうるが、事実関係についての情報提供さえ全く受けられない現在斯様な形における弁護人の行動は、もはや被告人の期待にそうものではなく、むしろ被告人らが望まない裁判の進行に協力することになるので、被告人に対する敵対行為であり、弁護人ではなくなるから、最後まで弁護人であろうとすれば辞任しかないし、また審理への立会を断念する外はない。裁判所はすべからく別の有能な弁護人を選任すべきである。」というのである。

よつて案ずるに、先ず同弁護人らが、当裁判所の訴訟の進め方、または当裁判所が見解として示したものについて、若干の批判的な意見を持つていることを窺知しうるけれども、そのことが辞任の理由であるとは言つていないのであつて、辞任の理由はあくまで被告人らが、同弁護人らの法廷における活動が微温的であるとして、実質審理に入つた後では同弁護人らに対し完全に非信頼の意思を明確に表示し、弁護人が出頭すると訴訟が合法的に進行するからむしろ法廷に出てこないことを希望している有様で、この状況ではもはや弁護人として法廷に出ることはできないので辞任するというにあるから、結局被告人らの同弁護人らに対する言動が辞任の理由になつていることは明らかである。

つぎに丙弁護人の当裁判所に対する辞任理由についての陳述の要旨は「被告人が全員退廷になるような審理はもはや裁判とはいえないから訴訟行為をすることはできず、従つて弁護人としての職責を果しえないから辞任したい。実質審理に入つた現段階では、被告人らに法廷での態度を改めるよう説得しても、聞いて貰える可能性はないと判断している。自分の判断では被告人らから非信頼の明確な意思表示をされたかどうかという点については、はつきりした言動はなかつたと思うが、弁護人に対し被告人らがつるしあげるような状況は何回かあり、その際弁護人四人の人間性が問題にされるようなこともあつた。被告人らから、弁護人の人間性まで答えろといわれても、むづかしいので、弁護人が沈黙したところ『今後どうするか明らかにしてくれ。』と求められ、弁護人らがこれを明らかにできなかつたので、これでは信頼できないということになつたものと思う。辞任前に被告人らから『誠実に弁護を果してくれ、それが義務ではないか。』『弁護人がいないと、裁判がやれない』とかの発言はあつたと思う。」というものである。

右によると、同弁護人は、一応、被告人全員を退廷させるような訴訟指揮に対する抗議の趣旨で辞任申出をしたことを述べているのであるが、その陳述内容を詳しく検討すると、同弁護人の陳述によつても、被告人らが弁護人に対し不信頼の態度を示してきたこと、同弁護人の辞任決意には、右のことや被告人の法廷態度が改まる見込のないことが大きく原因していると認められるばかりか、前記乙ほか二弁護人の当裁判所に対する陳述内容や、丙弁護人は当初一〇・一一月事件の他のグループの被告人の私選弁護人であつたことがあり、後に統一弁護団の総辞任に際し同様に辞任してしまつたこと等からみると、丙弁護人が裁判所に対する抗議の趣旨で辞任した旨の陳述はそれをそのまま真実として受け取つてよいかは甚だ疑問であり、むしろ、同弁護人としては、他の三弁護人にくらべると裁判所の姿勢に対しより強い批判を抱いていたが、これが直接辞任の原因になつたものではなく、他の三弁護人と同様、直接的には被告人らから不信頼の態度をとられたため辞任を決意したものではないかとも思われるのである。

そうだとすれば、同弁護人の辞任についても、被告人らの言動が原因となつている面がないわけではない。

しかし、丙弁護人の辞任申出の直接的原因が仮に同弁護人のいうとおりであるとしても、少なくとも、丁、乙、戊の三弁護人については、被告人らが非信頼の明確な意思表示をしたため、三弁護人としては窮地に陥り、そのために辞任申出をして出廷しなくなつたのであり、被告人らが右態度にさえ出なければ、本件について右三弁護人による弁護を受け得たのである。そうすると、本件審理において途中から被告人らが弁護人の弁護を受けられなくなつたのはいづれにしても自らの責に帰すべき事由によることになる。

被告人らは、四名の国選弁護人が出頭すると訴訟が合理的に進行し、自分らに不利になるという理由で、むしろ出頭しないことを望んでいたことは、前認定のとおりであるから、その意味では国選弁護の請求の意思を抛棄したか撤回したものと見る余地もあるのみならず、結果的にみても四名の弁護人が出頭しなくなつたことは、まさに被告人らが希望したとおりのことが実現したのであるから、そのことを捉えて、国選弁護の保障が完うされていないとか、防禦権が侵害されているなど言う資格がないことはもちろんであつて、そういうことをわざわざ言いたてるのは、自己の責に帰すべきことを棚にあげて、あたかも裁判所が憲法三七条三項に違反して被告人の基本的人権を侵害しているものの如く宣伝することにより訴訟の進行を阻もうとする意図によるものと解せられるのであつて、とるに足りない議論である。

七、かくして、昭和四六年四月一五日の第六回公判期日以後においては、国選弁護人は出廷しなくなつたのであるが、これに先立ち、当裁判所は、右辞任は正当の理由に基くものとは認められないので、解任はしないことを被告人らに告知するとともに弁護人らにもそのことを告知した被告人らは弁護人を信頼しないというけれども、本当に弁護人がそのまま実質審理に関与することを希望しない趣旨なのかどうかを照会するために、昭和四六年四月九日付で各被告人に「照会と告知」を行なつたのであるが、これに対してはまともな返事がなくて、右第六回公判期日を迎えたわけであつた。そして右期日にもかさねて右の点を、各被告人に質問したけれども、やはりまともな返事がないまま右期日は終つたのであるが、当裁判所は、辞任理由を確かめるために四弁護人と面接した際の弁護人らの態度が極めて強硬で容易に翻意するものとは思われない(もつとも被告人らが態度を改める場合は格別である)状態であつたことを考え合せ、結局被告人らが態度を改めない限りは、弁護人不出廷のままで実質審理を進める外はないと考えるようになつた。

八、かくして弁護人は不出頭のまま、当裁判所は、出張証人調を続けたのであるが昭和四六年六月八日の第七回公判期日において「弁護人が現在法廷にいないことと憲法三七条三項の国選弁護の保障の意味についての当裁判所の見解」を説明し、若干の敷衍をしたのであるが、その際特に明らかにしたのは、弁護人らと直接会つて確かめたところによると、もし被告人らが無条件で弁護をお願いするというふうに態度を改めるならば弁護に当る可能性はあるという事実(丙弁護人は不明確な点もあるが、他の弁護人らが弁護に当ることになればそれと別行動をとる趣旨ではないと認められた)であつた。

そして、当裁判所は、その昭和四六年七月段階で一〇・一一月事件の被告人らの一部に、実質審理拒否の態度を改め防禦をしようとする気配があつたのを好機として、被告人らに詳しい手紙を書いて、もしルールに従つて防禦をする気持があるならば、時期は既に過ぎているけれども、起訴状に対する求釈明および一人二〇分程度被告人全員に被告事件についての陳述の機会を与え、既に取調を終つた証人についても被告人らが調書を検討して反対尋問をする必要を感じた場合には、そのことを詳細に説明して再尋問を求めるならば、相当の理由がある限り、弁護人側証人として再尋問をする旨を伝えて、被告人らの再考を促したけれども、結局被告人らはそれに応じることなく経過し、さらに検察側立証が終る見込の時期においても、被告人らの立証を促したが、それにも素直に応じなかつたのである。

以上のような経過に徴すると、被告人らが国選弁護人の請求をして、真実国選弁護人の法律上の知識経験に基く援助を受けて防禦しようとしたのか、それとも当初から意図していた統一公判の実現のための統一折衝の場の設定を目論み、国選弁護人をただ実質審理阻止のための防波堤として利用しようとしていたか甚だ疑わしいといわざるを得ないのである。そして、被告人らが四名の国選弁護人の極めて真摯な弁護活動(当裁判所の見るところによれば、恐らくこれ以上の弁護活動は何人が国選弁護人となつても不可能であると思われる程である)を微温的なりとして非信頼の明確な意思表示をしたという事実や、当裁判所が「照会と告知」の方法や公判廷での質問を通じて被告人らに対し、もし真実被告人らがなお四名の弁護人が将来法廷に立会うことを希望するならば、弁護人らにそれを伝えて善処することを約して各人の意思を確かめたのに対し、まともに答えようとせず、言を左右にして回答を拒否した事実に徴するも少くとも現状のままの審理形態では審理に応ずる気持はなく、弁護人がいないことを法廷でことさら言いたてるのも、弁護人によつて適法な防禦活動ができないからというのではなくて、それを口実にして訴訟の進行を阻止しようという意図に出たものと認められるのである。

九、いうまでもなく、国選弁護の保障というのは、私選弁護人を依頼することができない被告人に対して普通人ならば当然信頼すべき法定の資格を有する弁護人を提供することを保障するという趣旨であり、従つて提供せられた弁護人を実際に利用すると否とは被告人らの自由に属するものであるから、仮に被告人らが思想的立場や、考え方の相違から、所定の手続に従つて裁判所が具体的に選任した弁護人を信頼しないということで、事案についての情報を全く提供しなかつたり、またはその弁護人の法廷における活動が微温的であるとして非難するのみならず、出頭すること自体が訴訟の進行に協力することになつて、被告人らの利益に反するものであるとして反対し、弁護人をして出廷不能の心境に追い込むことがあつたとしても、それは勝手であるとともに、それによつて生ずる不利益は自ら甘受しなければならないのである。されば本件において、前記のような理由で、弁護人が出頭しなくなつた以上は、それは被告人らの自業自得であつて憲法三七条三項の国選弁護の保障とは何の関係もないことである。

被告人らは、弁護人が辞任したのは、裁判所が弁護人らのすべての提案を拒否し、強権的な訴訟指揮を行なつたからであると主張するけれども、前認定のごとく、それは本件の場合少くとも乙、丁、戊三弁護人については妥当しないことが明らかである。(そのような理由で弁護人が辞任することが、弁護士法二四条にいわゆる正当な理由にあたるとは到底考えられないし、しかも解任命令がない以上弁護人はその地位を失う筈はないから四弁護人が出頭しないことが当然であるということにはならないのである。即ち、弁護人らは当然出頭して弁護活動をすべき義務があるのであるが、前認定の被告人らの言動からすれば、弁護人らが敢て出頭しようとしない気持も十分理解可能であり、もし、この不出頭が弁護人の任務違反として懲戒等の理由とせられた場合には当然斟酌すべき重要な事実となるであろう。)

思うに、本件の弁護人不出頭問題は、公安事件について現行のような形式の国選弁護が可能であるかという根本的な問題の一分野をなすものであるが、立法論はともかく、現行法上はやはり可能であるという立場で、それが可能になるような理論をたてなければならず、そのためには弁護人の使命と任務について現行法上合理的な限度を守ることを心掛けなければならないのである。最近ともすれば弁護人の使命や任務について合理的な限度を越えて甚しく主観的な基準を設定し、しかもその基準の範囲内なりや否やの判断権を弁護人に委ね、裁判所の判断権を排除しようとする説があることに鑑み特に注意しなければならないのである。

一〇、なお、被告人らは当裁判所の審理の進め方について、当裁判所がみだりに発言禁止命令や退廷命令を発し、被告人らの防禦権を無視して被告人不在のまま審理を進めるなど、余りにも強権的で違法であるとも主張するが、右主張は全く当つていない。本件審理経過を見ると前記のとおり、第一回公判期日では、審理方式について問答のあと起訴状朗読のみをすませたが、第二回および第三回の各公判期日には、実質審理をすることなく、当裁判所と被告人らとの間の審理方式等に関する問答に終始し、起訴後約一年三ケ月後の第四回公判期日(昭和四六年二月二七日)において、事前折衝、合同協議案件等に関する問答をした後にようやく証拠調手続に入り、弁護人全員が出頭しなくなつた第六回公判期日はまた実質審理をすることなく、弁護人問題についての問答とこれに関する裁判所からの被告人らに対する説得に費した。そしてその後は、毎回引続き実質審理をしたのであるが、この間において、当裁判所は、被告人らから出される意見や質問に対しては、これを真剣に受けとめ、慎重に検討したうえ、逐一正面から書面又は口頭で詳細な回答をなして判断を示してきた。およそ裁判手続においては、前述のとおり、裁判所の判断が示された以上、当事者においていかに不満があろうとも、これに従つて次の段階の手続に進むべきである(異議または抗告が認められているものについては、その方法により、当該裁判所の再度の判断または上級審の判断が受けられるが、その判断が出た以上はそれに従うべきである)が、被告人らは、当裁判所が再三そのことを教えて議論の蒸返しをやめるようにいつたにもかかわらず同じ議論をくり返し、そのため当裁判所も被告人らが法律の素人であること等を考慮して、一定の限度で同じ問題について説明をくり返して行なうことさえした(実質審理を行なつた公判期日においても、ほとんど毎回公判期日の冒頭には被告人らとの問答を行なつた)。しかし、被告人らは、毎回果もなく議論を蒸し返し、実質審理に応じようとせず、実質審理に入ろうとするや、口々に勝手な発言をしたりして審理妨害の態度に出るので、やむなく当裁判所は発言を禁止し、なお従わない者に退廷を命ずる措置に出ざるを得なかつたのである。そうでなければ、法廷の秩序は保つことができず、本件裁判は進行しなかつたからである。被告人らが、当裁判所の審理の進め方を前記のように非難するのは、自己の非を棚にあげて、その結果として生じた現象のみをとらえて騒ぎたてるに過ぎないものである。いうまでもなく、被告人の防禦権というものは、法規の定めるルールに則つて防禦すべき権利のことであつて、本件公判を通じて終始そのような態度に出なかつた被告人らには、防禦権を云々する資格はないものといわなければならない。

ただそうはいうものの、被告人らにいささかでも反省する気持があり、本当にルールに則つて防禦する気持があるならば、できる限りその実質的回復を図る意図で、昨年七月段階で再考を促したのを初めとし、その後も、法廷の開かれる都度勧告を続けたが、被告人らはそれもきかなかつた。

従つて、裁判所としてはもう判決する外はないのである。

(確定裁判)

被告人岡本は、昭和四五年九月二二日横浜地方裁判所で兇器準備集合罪で懲役四月、一年間刑執行猶予に処せられ、右裁判は同年一〇月七日に確定した。被告人小久保は、昭和四六年二月四日東京地方裁判所で公務執行妨害、傷害罪により懲役一年、二年間刑執行猶予に処せられ、右裁判は同年三月一日に確定した。

(法令適用)〈略〉

(量刑理由)

本件は、昭和四四年一〇月二一日のいわゆる「国際反戦デー」に多数の過激派学生、労働者らが、警察機動隊を打ち破り、新宿周辺を騒乱状態に陥れる意図のもとに企てた、極めて大規模な集団暴力事犯の一環として行なわれたところの、中核派第二軍団の組織的、かつ計画的犯行であり、「今日は武器になるものは何を盗つてもよい」との方針のもと、民間の材木店から店員らの制止を排して奪い取つた多数の角材で武装するなど、兇器準備の方法も悪質であり、また本件により阻害された国鉄の業務は判示の直接被害の外にも新宿駅をその後に通過すべき長距離貨物列車を含む多数の電車、列車の運行を大巾に遅延させたこと等の間接的な影響を含めると、著しく広範囲に及んでおり、本件が社会に及ぼした迷惑は甚大なものがあると認められるのであつて、その法秩序無視の甚しさ、よつて生じた結果に対し、被告人らは重い責任があるといわなければならない。

また、被告人らは、いずれも、本件審理の過程で、当裁判所に対し、次々と不当な要求を出し、当裁判所が逐一これに対し詳しく理由を述べて判断を示した後においても、これを不満として同じ要求を執拗にくり返し、訴訟指揮に従わないのみならず、暴言その他不当な振舞を重ねて審理を妨害し、そのため実質審理をする公判期日においては、毎回出頭被告人全員に対し、退廷命令を発せざるを得ない喧騒な状態に法廷を陥れた。このような事情は、たんに被告人らに本件の反省が見られないというだけでなく、むしろ本件犯行後も依然として「法の支配」を無視し、自己の主観的な考えを法規を無視してでも貫こうとする態度を積極的にとり続けているあらわれとして、本件量刑上到底見のがすことができない。

これらのことを考えると、被告人らがいずれも年若く、将来性に富み、また本件が青年にありがちな、当時の政治、社会状勢に対する危機感を短絡的に行動に結びつけたところの犯行であつて、私利私欲に基づく犯行でないと思われること等の事情を十分考慮に入れても、本件行為に対しては、被告人らに厳しくその責任を問わなければならない。

以上のことは、本件各被告人につき共通する量刑事情であるが、次に各被告人ごとに情状を考える(なお被告人らは情状に関しても全く立証しようとしなかつたので、当裁判所は職権により情状証人を尋問することとし、また書面によつて被告人らの肉親に対し情状関係の事項を照会したが、被告人らの属する組織の関係者と思われる者および少くとも一部の被告人らにおいては、右職権による情状資料の収集に対してもその妨害工作をした結果、一部の証人が出頭せず、また照会に対し回答しなかつたため、最近の生活状況等の情状事実がほとんど不明の被告人もあるが、これまたやむをえないところであり、当裁判所としては、証拠として現われたところに基づいて判断するほかはない。)

まず被告人Dは、本件における総指揮者であり、他の被告人にくらべてその刑責の重いことは明らかであり、犯歴が多く、本件が別件公判中の犯行であること、当公判廷においても被告人らのリーダーとして常に卒先して裁判長の訴訟指揮を無視する態度をとり続けたことを考えると主文記載のとおりの実刑に処するのが相当である。

さらに

被告人Aについては、本件において静岡大学生グループ中の準リーダー的役割を果したものであり、逮捕される際に警察官に対し角材で殴りかかつていること、犯歴が二回あり、本件はいわゆるアスパック闘争の際の兇器準備集合罪で保釈中の犯行であること、

被告人Fについては、共犯者の供述調書により認められる日新学寮での同被告人の言動に徴すると、本件集団全体の中でかなり積極的、指導的な役割を果したものであること、犯行においても最前線で警察官に突入するいわゆる「決死隊」員として関与していること、本件は長崎大学長監禁事件で起訴保釈中の犯行であること、

被告人Gについては、前記「決死隊」員として本件犯行に参加し、逮捕しようとした警察官に対し投石したり、角材で殴打したりしたことが現認されていること、本件前の犯歴が二回あり、本件後においてもいわゆる成田事件に関与して起訴されていること、

被告人Iについては、共犯者の供述調書により認められる日新学寮での集会の際の行動および本件前九州までオルグ活動に赴いていたこと等によると、本件集団の中においてかなりリーダー的地位にいたものと推認されること、本件前に二回の犯歴があり、本件はいわゆる第一次羽田事件で保釈中の犯行であること(なお、同被告人については本判決確定により併合罪関係にある右事件についての執行猶予が取り消されることを考慮して本件刑期を量定した)

被告人Jについては、本件において九州グループの代表的立場にあり「決死隊」員として犯行にあたつたこと、本件前に三回の犯歴があり、本件後においても兇器準備集合事件に関与して起訴されていること、

被告人Lについては、本件で逮捕される際警察官に角材を振つて殴りかかつていること、本件後も二回にわたり公務執行妨害等事件および傷害事件に関与しいずれも起訴されていること

等の事情がそれぞれ認められ、法廷における態度も非常に悪く、かついずれも特段斟酌すべき個別的事情もうかがえないので、右各被告人に対しては、それぞれの本件犯行における地位、役割等に応じ主文記載のとおりの実刑に処するのが相当である。

つぎに

被告人Bについては、本件において静岡大学グループのリーダー的役割を果し、逮捕しようとした警察官に角材で殴りかかつたものであり、また本件はかつて公務執行妨害罪で禁錮八月、執行猶予三年に処せられたその執行猶予期間中の犯行であつて、これらのことに徴すると、本件情状は決してよいものとはいえないが、母親の証言によると、同被告人は現在いわゆる活動から離れて定職につき、本件後結婚して子供も生れたため、一家の支柱としての自覚から、仕事のみに打ちこむ真面目な生活を送つている様子がうかがわれ、法廷における最近の態度も以前にくらべると温和しくなつてきていて、再犯のおそれは乏しいと思われること、

被告人Cについては、本件で逮捕警察官に対し角材を振りあげており、また本件後において昨年一一月一四日に渋谷方面で中核派の学生らが起した兇器準備集合、公務執行妨害事件に関与して起訴される等の点において情状決して良くないとも考えられるが、半面、本件犯行時同被告人は未だ少年であつて、かつ本件前の犯歴はないこと、母親の証言、当公判廷における態度によると、同被告人は温和な性格で、法廷における騒ぎ方も自ら率先して騒ぐというよりは、他の者に引きずられてそうしている様子がうかがえること、

被告人Eについては、本件犯行中警察官に投石したことが現認されており、また本件後別件で起訴されているが、本件において主導的役割を果したものとも認められず、また本件前の犯歴はないこと、

被告人Hについては、別件で起訴保釈中に本件を犯したものではあるが、主導的立場で本件に参加したものでないこと、現在定職につき、最近における法廷態度にも比較的温和な面も見られるようになつてきていること、

被告人Kについては、本件前後を通じてほかに犯歴がなく、本件においても付和随行的に参加したもので、自らは兇器を所持しなかつたことが明らかに認められ、また本件に対しては捜査段階で反省をしていたこと、

等の事情があるので、これらの被告人については、犯情決して軽いともいえないが、今直ちに実刑に処するよりは今回に限り執行猶予するのが相当であると考える。 (熊谷弘 金谷利広 門野博)

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